東京地方裁判所 昭和42年(合わ)74号 判決 1970年2月26日
目次
(本件公訴事実の要旨)<省略>
(被告人および弁護人の主張)
第一 無罪の主張
一 事実関係について
1 東京ベッド製造株式会社関係の放火事実につき
2 その他の各放火未遂事実につき
二 被告人の捜査官に対するいわゆる自白についての証拠能力、証明力について
1 別件逮捕・勾留について
2 弁護人の援助を受ける権利について
3 供述能力、信用性について
第二 公訴棄却の主張
(当裁判所の判断)
第一 各公訴事実の出火の事実とその結果、焼損の程度等について
第二 本件各公訴事実についての証拠
第三 本件捜査の経緯(被告人が本件各放火・放火未遂事件の容疑者として検挙され、いわゆる自白調書が録取作成されるに至つた経過等)と、いわゆる余罪捜査、別件逮捕勾留について
1 被告人が住居侵入現行犯として第一次逮捕されるまでの経緯
2 第一次逮捕後第一次勾留が認められるまでの経緯
3 第一次勾留の当初の一〇日間(昭和四二年二月二二日まで)の捜査の経緯
4 第一次勾留から第二次逮捕・勾留に切り替る間の経緯
5 第二次勾留後中込稔方の放火未遂被疑事実につき公訴提起された昭和四二年三月六日までの間の捜査の経緯
6 起訴後の勾留以後の捜査の経緯
7 いわゆる余罪捜査、別件逮捕・勾留について
イ、問題の所在
ロ、本件における捜査の過程からみた別件逮捕・勾留について
第四 弁護人選任についての経緯
第五 被告人の自白調書のもととなつた取調べ時における被告人の供述能力等
第六 被告人の本件各自白調書の調拠能力(証拠の許容性)
(結語)
主文
被告人は無罪。
理由
(本件公訴事実の要旨)《省略》
(被告人および弁護人の主張)
第一本件各犯行と被告人とは無関係であつて、全公訴事実につき、被告人が放火したという事実はない。
したがつて被告人は無罪である。
一事実関係について
1 東京ベッド製造株式会社関係の放火事実につき
(1) 本件公訴事実記載の日時、場所において、その記載の建物から火が出たこと、その結果建物が焼失したことは認めるが、本件火災は、東京ベッド崖下から崖上の建物に通ずる階段踊り場以外の場所における爆発に起因するものである。
(2) 被告人には、本件放火を犯す動機がない。被告人が元東京ベッド製造株式会社の社員として勤務していたこと、被告人と林脇林吉夫妻が親戚関係にあることは認めるが、被告人は、同会社をやめさせられたのではなく、自分からやめたのであつて、林脇林吉社長が被告人をかばつてくれるとか、とりなしをして解雇されないようにしてくれるものと期待したことは全くない。被告人は同社を退社後も、同社のベッドを他に売つて口銭を貰つたり、林脇林吉社長から小遣銭を貰つたり、松尾印刷(松尾和明・当時港区麻布北白ヶ窪三〇番地に住み、印刷業をしていた)を手伝うようになつてからは、林脇林吉社長のところにも、たびたび出向いて行き社長から名刺の注文を受けたり、また社長夫人とも何ら従前と変ることのない間柄にあつた。ことに社長夫人林脇フクは被告人の叔母、被告人の姉は林脇社長の妾という関係にあつて、同社長は従前から何かと被告人の面倒をみてきたのであつて、被告人は恩義こそ感ずれ、林脇林吉夫妻に対し、抜きがたい怨恨の念を抱かなければならないような事情は全くなかつた。
被告人が同社を退職したのは、昭和四〇年三月二四日であり、本件火災は同年一一月二九日であつて、怨恨の故の犯行としては余りにも時間がたちすぎているし、その間に怨恨の念を深めるが如き事情も全く見当らない。被告人にとつては、同社は容易に小遣銭の入手できる資金源であつたし、また酒類等飲食物を販売する被告人方の商売にとつても同社は大事なお得意先であつたことと、右のような密接な身分関係からしても被告人が放火できるわけはない。
(3) 本件火災当時の被告人の行動よりして被告人が本件火災の放火犯人でないことは明らかである。
2 その余の各放火未遂事実につき
本件各公訴事実記載の日時、場所において、ボヤが発生したことは認めるが(公訴事実二の4、5についてはボヤ発生日時は否認する)、いずれも被告人の行為によるものではない。
二被告人の捜査官に対する自白についての証拠能力、証明力について
1 本件各自白証拠は、いわゆる別件逮捕・勾留、見込み捜査といわれる違憲違法な捜査手続に基づいて収集されたものである。
捜査当局は、東京ベッド製造株式会社の火災および昭和四一年六月から九月までの間に都内港区麻布六本木付近で連続して発生した出火事件について放火の疑いを抱き、これらの一連の火災事件が同一犯人の仕わざであるとの見込みをたて、昭和四一年一〇月には管轄の麻布警察署において放火の特別捜査班を設け、捜査を続けていた。多くの容疑者が捜査線上に浮んだが誰についても確証はなかつた。そのうち、東京ベッド製造株式会社と特殊の関係にあつた本件被告人塚本和雄を有力容疑者としてその身辺の調査を開始するとともに尾行を続けた。その間、捜査当局は、昭和三八年ころ同会社の取引き先である窪寺良次(新宿区南榎町五七番地・料亭経営)方で腕時計が紛失したことがあつたことと、昭和四一年末ころ被告人が友人吉本明男に腕時計を貸したところ、吉本がこれを紛失して返して貰えなかつたことを聞込んでいた。被告人は、長年常用していた睡眠薬のため夜間街中をふらつく習慣がついてしまい、たまたま昭和四二年二月一二日大貫栄一方(港区麻布六本木町一一番地)付近を歩いているところを、尾行していた警察官に住居侵入現行犯ということで逮捕された。捜査当局は、住居侵入被疑事実については簡単な取調べをしただけで、放火・放火未遂被疑事実について追及し、同月一三日住居侵入被疑事実に右窪寺良次方における時計の窃盗という被疑事実を付加して勾留請求し、翌一四日これが認められるや(以下第一次勾留という)、右住居侵入・窃盗被疑事実については同月一八日に形式的に供述調書を作成しただけで何ら取調べをせず、右放火・放火未遂被疑事実について勾留の初日から取調べをなし、しかも被告人を強制・強要して放火・放火未遂の自白をなさしめた。そして、同月二四日形式上、住居侵入・窃盗被疑事実につき被告人を釈放し、改めて放火・放火未遂被疑事実で被告人を逮捕・勾留(以下第二次勾留という)したのである。(このことは弁護士天野憲治名義の昭和四二年三月一三日付「勾留取消の申立」と題する書面添付の同年二月二四日付読売新聞都民版に掲載された「一昨年秋から連続九件もの放火をし、一人を焼死させた放火犯が二四日東京麻布署につかまつた。」「麻布署では昨年一〇月警視庁捜査一課放火班の協力で特別捜査班をつくり捜査を進めているうちに、放火現場に常に塚本が姿を見せていることがわかり、塚本の尾行をはじめた。ところが、これを知らない塚本は、さる一二日午前一時二五分ころ、港区麻布六本木町一一、公務員大貰栄一((五一歳))方にしのびこんだところを住居侵入現行犯で逮捕、その後、連続放火について追及したところ、二四日になつて放火を自供したもの」との記事によつて明らかである。)以上のとおり、捜査当局は、放火・放火未遂被疑事実について何ら確たる証拠もないのに、名を住居侵入に藉りて被告人の身柄を逮捕・勾留し、本件放火・放火未遂被疑事実の自白をなさしめたのである。そして、第二次勾留は、第一次の違法な別件勾留による強制捜査によつて奪取された自白(違法収集証拠)に依拠してなされたものであり、しかも第二次勾留以後に作成された被告人の供述調書は、第一次の別件勾留中になされた自白の繰り返しにすぎないものであるから、違法に収集された自白と同様に証拠排除さるべきである。そしてまた捜査の経過に鑑みれば、第二次の勾留後の自白および三月六日付の中込稔方放火未遂事件の起訴後の自白は不当長期勾留後の自白であり、この点からも証拠能力は否定されるべきである。
2 被告人は、本件放火・放火未遂の被疑事実については、憲法に保障された直ちに弁護人の援助を受ける権利を与えられることなく強制捜査を受けた。
被告人は、放火・放火未遂という重大な事件について弁護人を依頼する権利のあることを告知されることなく、いきなりその取調べを受けた。他方、被告人の家族は、昭和四二年二月一四日ころ、裁判所から被告人が住居侵入・窃盗事件で麻布警察署に勾留された旨の通知を受けたけれども、この勾留期間中に被告人がもつぱら放火事件について追及されているとは夢にも考えていなかつた。被告人の家族は警察に面会に行つても接見を許されず、大した事件ではないと言われたので、被告人本人のために少しは薬になるだろうと、あえて弁護人を依頼せず、放置していた。ところが、同月二四日被告人が本件放火事件の犯人とされていることが新聞紙上に発表され、しかも捜査当局は被告人を犯人と見込んで、かねて尾行をしていたことまで掲載されているのをみて、被告人の家族は、はじめて事の重大さに気づき、弁護人選任を考えるに至つたのである。以上、被告人の家族の弁護人選任権(刑事訴訟法三〇条二項)は、前記別件逮捕・勾留により著しくその行使を妨害され、そのため被告人は逮捕後一三日間以上も弁護人なしで連日一連の放火事件について厳しい取調べを受けたのである。
3 被告人の各供述調書記載の自白は、被告人に供述能力のない状態下において録取されたもので信用性を欠如している。
被告人は、長年睡眠薬を常用し、昭和四二年一二日に住居侵入の現行犯として逮捕された当時も睡眠薬を多量にのんでいたので、麻布警察署に連行された時には意識がもうろうとしており、口はろれつがまわらず、足腰もシャンとたたなかつたような状態で、自分が何時、どこで逮捕されたかもはつきりとしていなかつた。身柄を拘束された後は睡眠薬の切れた禁断症状のため、被告人の精神状態は正常ではなかつた。鑑定人医師佐藤倚男の精神鑑定により極めて明らかなとおり、被告人は、その知的低格性、意思薄弱人格、戦後環境および住居環境などによつて加重された睡眠薬の中毒症状および禁断症状のため本件供述調書が作成された当時は精神病状態にあつたのであり、周囲と自己との状況を判断し、これに即応して行動する能力の点で著しい障害があつた。その結果、被告人の供述調書は、取調官の示唆、誘導、自白の追及により取調官の予断どおおりに記載されており、信用性に欠けるものである。
第二本件起訴は、いずれも公訴権濫用による起訴であるから無効であり、刑事訴訟法三三八条四号により判決をもつて公訴棄却されるべきである。
本件別件逮捕のように違憲違法の方法によつて被疑者の自白を追及し、その自白を基礎として公訴を提起したような場合には、捜査手続の瑕疵は当然に公訴の提起に引継がれ、本件公訴提起も違憲違法なものとして無効である。また、昭和四二年三月六日付の第一の起訴(中込稔方放火未遂事件)は、別件逮捕による違憲違法の勾留を不当に延長して余罪捜査をするために公訴権を濫用したものであつて無効である。すなわち、捜査官憲は、昭和四二年二月一二日住居侵入という名目で被告人を別件逮捕して放火・放火未遂被疑事実につき取調べ追及し、同月二五日勾留被疑事由を放火・放火未遂に切り替え、同年三月六日勾留期間の延長方を裁判官に請求したが、いわゆる別件逮捕・勾留にあたることを理由として右延長請求が却下されるや、検察官はこれに対し、準抗告の申立をした。その理由とするところは、「本件勾留被疑事実は、(一)東京ベッドの放火、(二)中込稔方の放火未遂の事実であるが、出火地点および点火方法を裏付ける物的証拠が甚だ乏しいため、被疑者および関係人多数の取調べによつて情況証拠を多数収集しなければ事案の真相を明らかにし得ない」、また「本件中込稔方の放火未遂については格別の動機がなく、かつ中込稔方の放火未遂と同様のいわゆる連続放火事件数件の余罪があると見込まれ、これらは薬物中毒による精神異常の状態で行なわれた犯行ではないかとの疑いもあり、……精神鑑定の必要があり、その結果を待たないと起訴・不起訴を決することが極めて困難な事件である」というのである。
しかるに、同日午後六時半ころ東京地方裁判所刑事第一三部で準抗告棄却の決定が下されるや、検察官はにわかに前言を翻して、数時間後に中込稔方の放火未遂事件についてだけ公訴を提起した。右中込稔方放火未遂事件の起訴の主たる目的が起訴による勾留の継続、そしてその勾留期間を利用して最初からのねらいである東京ベッド製造株式会社の放火事件および連続放火事件について取調べることにあつたことは極めて明白である。現に検察官は前記準抗告申立書の中で「東京ベッドの放火については……勾留期間を延長してさらに取調べを必要とする」として、その意図を明らかに表明している。検察官が午後六時半から一二時までの間に、息せき切つて、右中込稔方の放火未遂事件(それは当時、真相の把握ができず、起訴・不起訴の決定が極めて困難であつたはずのもの)だけを起訴したことは、その主たる目的が余罪捜査に向けられたもので、違憲違法の勾留を不当に延長しようとしたものであること明白である。中込稔方の放火未遂事件の起訴は、いわば捨て球であり、公訴権の濫用以外の何ものでもない。したがつて、この三月六日付の中込稔方の放火未遂の起訴が公訴権の濫用で無効の起訴である以上、この起訴によつて不当に延長された勾留―もともと、この勾留は別件逮捕による違憲違法の勾留である―を利用して、強制捜査を遂げ、その成果として順次提起された追起訴はいずれも、一連の手続として全体的に違憲違法であり、無効である。なお、本件の最終的起訴は、四月二八日であり、被告人が別件逮捕されてから七六日を経過している。余罪捜査の名のものとに不当に長期にわたる強制捜査が行なわれている現状において、本件のような捨て球的起訴が、たやすく罷り通ることは許せない。
(当裁判所の判断)
第一各公訴事実の出火の事実とその結果・焼損の程度等について
関係証拠(後掲)を総合すると、各公訴事実記載の日時、場所において、その記載の建物ないしは物より火が出たこと、その結果右記載の建物が焼燬され、あるいは建物・物の一部が燻焼・焼失したこと、とくに東京ベッド製造株式会社関係については、宿直員生天目久をはじめ当日同会社建物内に宿泊していた森武久、半谷芳雄、合田勘一の現住する同会社所有の建物が燃え、九棟が全焼、四棟が半焼・部分焼となり建物の焼失面積合計二、二九六平方メートルに及び、本件火災による損害額は、動産・不動産の焼失による損害額だけで一億四千万円余にのぼり、しかも出火当時就寝中の前同会社員半谷芳雄を焼死させるという甚大な被害を生じさせたことを認めることができる。
<証拠>《省略》
(前掲公訴事実一の東京ベッド製造株式会社の出火場所・出火原因について付言すると、以下のように目撃者の供述等にくい違いがあり、目撃者の供述については目撃場所、時刻、視界、目撃方向がそれぞれ異なることを当然考慮に入れたうえ、これら証拠を検討するに、起訴状記載の東京ベッド製造株式会社裏口から展示室((ショールーム))に通ずる階段踊り場から出火したのではないかとの疑いもある程度認め得るけれども断定するに十分でないのである。
1 港区麻布市兵衛町二丁目三九番地で、おにぎり屋「小幸」を経営する小深きん子は、司法警察員に対する供述調書において、「昭和四〇年一一月二九日午前四時三〇分すぎころ、就寝中ボーンという大きな音で目をさました。自宅東側の硝子窓から硝子越しに外を見ると、東京ベッド製造株式会社の崖下から崖上の建物に通ずる外階段の手前でクーラーの間付近が燃えているのを目撃した。」と述べ、
2 東京ベッド製造株式会社の崖下の大野方に居住していた織田裕子は、「就寝中、あまり窓が明るいので目をさました。北側一番西寄りの窓から外をみると、同会社の崖の上下をつなぐ階段の中ほどが燃えているのを目撃した。」と証言し、
3 東京ベッド製造株式会社の宿直員生目久は、「就寝中ドカーンというような音、バリッというような音で目をさました。その際、腕にはめていた時計をみたところ、時刻は午前四時三五分か三六分であつた。その時、ショールームの崖下に通ずる階段付近の窓ガラスが赤くなつていた。そこで、ショールームからその階段に通ずる境に設置されている吊り戸に近づいて開けようとしたところ、その吊り戸のガラスが破れて、そこからゴオーという音とともに赤い炎が自分の頭上を通りすぎた。」と、証言し、
4 東京ベッド製造株式会社崖下作業場一階休憩室に宿泊していた同会社社員森武久は、「就寝中ドーンというかなり大きいにぶい物音で目をさまし、ついでバリッバリッという花火のような音がしたので窓から首を出して左側の音の方向をみたところ、一〇メートルくらい先の崖の上から下に通ずる廊下の屋根の向う側の部分とショールームの壁が接するあたりに五ないし七メートルくらいの火柱が上つているのをみた。私はその瞬間ショールームの壁ぎわが燃えていると思つた。崖の上下をつなぐ階段は燃えていないと思つた。クーラーの音か何かが爆発するような音がした。当時ショールームの一角にクーラーがあつたので、クーラーの爆発により出火したのではないかと想像したり、以前ショールームの電気がきれたことが何回かあつたので、電気関係が原因ではないかと思つたりした。」と証言し((なお、同会社社長林脇林吉らの証言によれば、本件の出火と同じ年である昭和四〇年五、六月ないしは夏ころ、東京ベッド製造株式会社の崖上に所在する、社長が宿泊している寮で、原因不明のボヤが発生してフトンを焦がしたということがあつたことが認められる。))、
5 東京ベッド製造株式会社配送事務所二階に宿泊していた同会社社員平野修は、「バチバチという物音で目をさまし窓から外をみると、竹やぶが全面にわたつて燃え、二、三メートルくらいの高さに炎がのぼつているのを目撃した。」と証言している。
6 警視庁科学検査所長の回答書、同所員金木吉次の報告書によれば、東京ベッド製造株式会社の出火は電気に起因するものとは認め難く、出火建物の電気工作物およびこれに関連のあるトタン板等には電気系統から出火したと認められるような異状痕跡は認められなかつたとされている。他方麻布消防署米山順二作成の火災損害報告書謄本においては、火災の原因につき「原因不明」と記載され、かつまた司法警察員石原常治作成の昭和四〇年一二月三日付実況見分調書謄本には、その冒頭に、「被疑者不明に対する失火被疑事件につき、次のとおり実況見分をした」との記載がある。
7 また出火当時、東京ベッド製造株式会社の崖上の建物には、ストーブが数個あり、そのうちのショールーム一階事務所の石油ストーブについては、当夜の宿直員の生天目久は、「前日の一一月二八日夜に使用したが、午後一〇時ころに同人の手によつて消火した。」旨供述しているが、その他のストーブの使用状況、消火の有無については必ずしも明確でない。)
第二本件各公訴事実についての証拠
本件においては、一件証拠を精査検討しても、被告人の捜査官に対するいわゆる自白調書を除くと、東京ベッド製造株式会社関係の公訴事実については、そもそもその出火が放火に起因するものであること、ならびに、検察官の主張する本件各放火・放火未遂事実の犯人が被告人であることを認めるに足る証拠例えば目撃証人とか物的証拠等は何一つとして見出し得ないのであつて、結局被告人の捜査官に対するいわゆる自白のみが東京ベッド製造株式会社における出火が放火によるものであり、かつ本件各放火・放火未遂事実の犯人が被告人であることを関連づけ得る唯一の証拠である。
そして検察官は、本件放火・放火未遂事実につき、右のいわゆる自白を録取した被告人の司法警察員に対する供述調書二二通、検察官に対する供述調書六通(いずれも自白調書)の取調べ請求をし、右調書はいずれも適法な手続により、任意になされた供述を録取したものであり、なお、当初の住居侵入被疑事実による逮捕、住居侵入・窃盗被疑事実に基づく勾留については、それぞれの必要性があつたのであるから、いわゆる別件逮捕・勾留にはあたらないし、ある被疑事実で被疑者を逮捕・勾留中に、逮捕・勾留の基礎となつた被疑事実以外の事件について並行して取調べを行なうこと自体は法の禁ずるところではなく、一般に認められているところであつて、本件捜査に違法な点はないと主張し、弁護人は前記被告人および弁護人の主張第一の二記載のように、右自白調書は、いずれも違法な別件逮捕・勾留に基づき、しかも直ちに弁護人の援助を受ける権利を与えられることなく、違法な取調べにより得られた供述を録取したもので、しかも被告人は当時供述能力を有しない状態にあつたから、右自白調書は、いずれも証拠能力(証拠の許容性)を有しないものである、と主張する。
第三本件捜査の経緯(被告人が本件各放火・放火未遂事件の容疑者として検挙され、いわゆる自白調書が録取作成されるに至つた経過等)といわゆる余罪捜査、別件逮捕・勾留について
関係証拠(後掲)および検察官の証拠請求目録を総合すると、以下の事実を認めることができる。
1 被告人が住居侵入現行犯として第一次逮捕されるまでの経緯
昭和四一年三月三日から同年九月三〇日までの間に麻布警察署管内の東京都港区麻布北曰ヶ窪町、六本木町付近一帯を中心として九件の不審火が発生したため、その捜査体制を強化する必要があるとして、同署よりの要請に基づき、同年一〇月四日ころ警視庁刑事部捜査一課火災班(捜査主任官関森勝以下六名)が同署に応援派遣され、同署に連続放火事件特別捜査班が編成され、派遣捜査官と地元麻布警察署査官が一体となつて捜査に当ることとなつた。そして捜査官が出火現場付近の聞込み捜査等をした結果、火災現場が比較的狭い範囲(北曰ヶ窪および隣接の材木町)に集中していること、火災発生時刻がいずれも深夜であること、火災発生の場所的状況等よりして、同一人による公算が大きく、夜間よく出歩く者で変質的な者の仕わざであろうという線が出たので、その方向で更に捜査を進め、不審者として被告人を含め約四〇名の者をリストに載せ、右一連の火災と犯人との結びつきを解明するため、各不審者の身辺捜査、火災時におけるアリバイ等の捜査をした。被告人について、元の勤務先である東京ベッド製造株式会社に聞込みをしたところ、これより約一年前の昭和四〇年一一月二九日同会社において原因不明の火災があり、その際同会社の元社員であつた被告人が最も早く林脇林吉社長宅に火災発生を通報したものであるが、その通報時刻が極めて早かつたと思われること、火災現場における被告人の行動に不審と思われる点があつたことなどの聞込みを得たので、同会社で発生した火災についても被告人の放火による疑いがあるとして、当初、被疑者不明の失火被疑事件として捜査に着手していた同会社の火災についても放火の線で並行して捜査することとした。(同会社の火災は、放火によるものとすれば、すでに第一で認定したとおり、その火災の規模の大きさ、焼失面積、被害額、罹災者多数を出していること、その危険性、焼死者一名を出していることなどからいつても極めて重大な事犯である。)そして、昭和四一年一一月二四日に行なわれた同会社からの聞込みの際、被告人が配送係として同社に勤務していた折に、同会社運転手月岡泰充とともに顧客先に商品であるベッドを配達しに行つた際、顧客先で時計が紛失したということで、顧客から会社に苦情を申し込まれたことがあつたという情報を得たので、それをたよりに捜査したところ、その配達先は新宿区南榎町の窪寺良次方であることが判明した。そこで、右窪寺良次について、同月二七日ころその間の事情を聴取したところ、同人から、昭和三八年八月二九日ころの午後一時ころ同人がいつも使用している腕時計をはずして鏡台の上に置いたまま小学三年の子供を留守番にして妻とともに外出し、同日午後四時ころ帰宅したところ、右腕時計が見当らなかつたこと、留守中に、かねて注文してあつたベッドが東京ベッド製造株式会社より配達されていたことから、ベッドを届けに来たという二人の男に疑いを持ち、同会社に調査方を申し入れたところ、その後、配達に来た二人が係長という人に伴なわれて来たけれども時計については何も知らないといつてきたこと、そのためそれ以上追及することもできず、また警察に届出ても被害物品は出ないであろうと思つて被害届を出すなどの手段はとらず、そのまま放置してきたとの供述を得たが、被害物品である腕時計が舶来品か国産品かなどの点について右窪寺良次夫婦の言うことにくい違いがあつて、盗難品の時計の特定をすることができなかつたため、右事情聴取の際には供述調書を作成するまでには至らなかつた。(後に作成された被害者の司法警察員に対する昭和四二年二月一三日付供述調書謄本によると、問題の腕時計について、どこでいくらで買つたか憶えていないが、大体二万円くらいだつたと思うという供述記載がある。)他方、麻布警察署警察官一色勝正は、昭和四一年一二月一五日ころ、被告人から、「自分が同年一二月一一日ころ新橋付近の富士パチンコ店店員吉本明男に時計を貸したところ、同月一三日夜になつて、右吉本が時計を落してしまつたので、四千円で売つてくれと言われたが人を馬鹿にしている。」と訴えられたことがあつたことから、あるいはその時計が窪寺方で紛失したという時計と関連があるのではないかとの見込みもあつて、被告人からその時計の購入先、品名、値段等をたずね、同人が所持していた六本木都屋時計店の修理券により、同時計店に聞込みをした結果、その時計がセイコークロノス一八金(側番J一四〇三四号)であることをつきとめ、更に被告人の右時計の入手先に関する供述の真偽を確かめるため、被告人のいう購入店等につき捜査した結果、被告人のいう時計の購入先、値段には信用でき難い点があるとみられたけれども、それ以上窪寺方で紛失した時計と被告人が吉本に貸与した時計が同一物であり、被告人が窪寺方でその時計を窃取したという事実を確実に認め得るような具体的証拠を発見するまでには至らなかつた。他方、連続放火事件の不審者に対する捜査の進展とともに、次第にふるいがかけられ、被告人ほか数名の者が捜査線上に残るまでにしぼられてきたが、それ以上の進展は早急には見込めない状況になつてしまつたことと、年末警戒にも当らなければならないことなどもあつて、捜査一課からの派遣捜査官は同署から引揚げることとなり、捜査体制が縮小された。
ところが、昭和四二年二月一二日午前一時一〇分ころ、麻布警察署巡査福井忠義が港区麻布六本木町、北曰ヶ窪町付近を警ら中、かねて顔見知りの被告人が、雪の降つているのにオーバーも着用しないまま徘徊しているのを目撃し、かつ同人の住居と反対方向に歩行していることから、被告人の行動に不審を抱いて、被告人を尾行した。同区麻布六本木町一一番一四号大貫栄一方前付近まで来たところで、同巡査は被告人の姿を見失つたが、すでに一〇ないし一五センチメートルの積雪があつて、足跡から被告人が右大貫方横の木戸から邸内に入つたことがわかつたので、付近に張込んで被告人を監視していると、間もなくして右木戸を開けて被告人が路上に出て来た。そこで、同巡査は、被告人に職務質問したところ、被告人が、放尿するため邸内に入つたと弁解したが、放尿するような場所ではないので、故なく人の看守する邸宅に侵入したものとして、同日午前一時二五分ころ、右大貫栄一方前路上で、住居侵入の現行犯として被告人を逮捕した(第一次逮捕)。(なお、被告人は、当公判廷において、前日の同年二月一一日夜常用していた睡眠薬を服用して戸外に出たので、逮捕当時のことについては全く記憶がないと述べている。)
2 第一次逮捕後、第一次勾留が認められるまでの経緯
そこで、同二月一二日午前二時ころ、麻布警察署に連行された被告人につき、被告人の司法警察員に対する弁解録取書(自白)が作成され、また同日午前中に被告人の司法警察員金丸良行に対する、供述調書(自白、侵入目的についてはなんで入つたか自分でもその時の気持は判らないとの供述記載になつている。)が作成されたが、右1のような従前の捜査経過から、被告人が連続放火事件の容疑者の一人としてリストに載せられ継続捜査中の者であつたので、麻布警察署は警視庁捜査一課火災班に、被告人を住居侵入現行犯として逮捕し、身柄を拘束中であると連絡した。そこで、同火災班捜査主任官関森勝以下六名は、被告人の身柄が拘束されたこの機会に右一連の放火事件について取調べようと考え、再び麻布警察署に出向し、まず、住居侵入について被告人の司法警察員曾根田春雄に対する供述調書(自白、侵入目的については軒下に女性下着類が乾してあれば、それを手に持つて自慰行為をする目的であつたとの供述記載になつている。)を作成したうえ、前記1のような経緯で判明していた窪寺良次方での時計紛失についても被告人に嫌疑があるのではないかとして、この点についても取調べ、窃盗について被告人の司法警察員曾根田春雄に対する供述調書(自白、窪寺方から窃取した時計を吉本明男に貸与して紛失されてしまつた旨の供述記載になつている。)が作成された。このほかに同日付で、住居侵入に関し、大貫栄一の被害届の提出を受けたほか、その子、大貫修稔の司法警察員に対する供述調書、司法警察員一色勝正の実況見分調書、司法巡査福井忠義の現行犯逮捕手続書および逮捕時の状況報告書が作成され、窃盗に関し、窪寺方にベッドを被告人とともに運搬した月岡泰充の司法警察員関森勝に対する供述調書が作成されたほか、司法警察員一色勝正作成の同日付犯罪歴捜査報告書(昭和三五年四月二九日窃盗、同四〇年一二月一九日女性下着一枚窃盗の二回の逮捕歴がある旨の記載がなされている。)が作成された。
翌二月一三日には窪寺方での時計の窃盗に関する証拠の収集が行なわれ、窪寺良次作成の被害届、高橋忍(都屋時計店店員)作成の時計修理事実答申書の提出を受けたほか、窪寺良次(被害物品である時計の購入先、代金について記憶がないという供述記載になつている。時計の特定性に関しても確たるものはない。同人の供述調書中被害物品の特定についての供述記載は、被告人の自供と右時計修理事実答申書、後記司法警察員の時計製造元の捜査結果などにより、被告人が前記都屋時計店に修理に出した時計の特徴をそのまま被害にかかつた時計の特徴として記載されたものと推認される。)、吉本明男(被告人より昭和四一年一二月中旬ころ黒皮バンドのセイコーの時計を借りたが、そのころ富士パチンコ店内で紛失してしまつたとの供述記載になつている。)、小林貞夫(吉本明男の友人・吉本に代つて紛失した時計の弁償を被告人にした旨の供述記載になつている。)の各司法警察員に対する供述調書、司法警察員関森勝の窃盗被疑事件捜査報告書(捜査の端緒として、被告人について、かねて麻布六本町、麻布北曰ヶ窪町等を中心とする九件の連続放火事件と東京ベッド製造株式会社の火災事件とに関連があるのではないかと捜査していたところ、右時計の窃盗のことを聞込んだ旨の記載がなされている。)が作成された。
そこで、同日麻布警察署は、被告人を、現行犯逮捕した昭和四二年二月一二日の大貫栄一方に対する住居侵入に、これより約三年半前の昭和三八年八月二九日ころの前記窪寺良次方における時計の窃盗被疑事実を付加して東京地方検察庁に身柄付のまま送致し、前記捜査主任官関森勝は、窃盗の件について窪寺方でなくなつた時計と被告人が吉本明男に貸与して紛失されてしまつた時計が同一物であるかどうか、賍品である時計の行方を捜査する必要があること、過去に窃盗の逮捕歴が二回あり、深夜徘徊して他人の邸宅に侵入したことから窃盗余罪が見込まれること、麻布警察署管内で発生した連続放火事件についても被告人を容疑者の一人として捜査中であり、その嫌疑・疑問点を解明するため取調べをする必要があることなどの理由をあげ、被告人の身柄を麻布警察署に勾留するよう要請し、東京地方検察庁刑事部副部長検事に対し、被告人がかねて同署において捜査中の連続放火事件の不審者リストに載つており取調べを要するとして、身柄についての配慮方を連絡した。同日同検察庁検察官は、送致事実たる住居侵入・窃盗につき被告人の弁解録取書(自白)を作成したうえ、刑事訴訟法六〇条一項二、三号の事由があるとして両被疑事実につき勾留請求をし、翌一四日東京地方裁判所裁判官はこれを容れて右両被疑事実につき勾留状を発付し(第一次勾留)、同日午後一時その執行がなされた。前記捜査主任官関森勝は、被告人の勾留後担当検察官となつた検察官今野健に対して、被告人が麻布警察署管内で発生した連続放火事件について関連性があるらしいので疑問点解明のためそれらの事実について被告人を取調べたい旨連絡した。
3 第一次勾留の当初の一〇日間(昭和四二年二月二二日まで)の捜査の経緯
この間において、被告人が麻布警察署で、取調べのため留置場から引き出され、取調官の面前にいたと認められる日時、合計時間は、留置人出入簿(被告人に関するものの抜粋)によると、つぎのとおりである。
二月一四日 勾留状執行後 五時間五分
同月一五日 三時間四五分
同月一六日 七時間三五分
同月一七日 七時間四五分
同月一八日 麻布警察署での取調べはない(検察庁で検察官による取調べが行なわれている。)
同月一九日 前同警察署での取調べはない。)
同月二〇日 五時間三〇分
同月二一日 三時間四〇分
同月二二日 二時間四五分(このほかに、検察官が麻布警察署で午後九時四〇分から三〇分間取調べている。)
そこで、この間の被告人に対する取調べ状況を本件公判において請求され取調べられた書証等の証拠関係から検討するに、つぎのとおりである。
(1) まず、勾留被疑事実たる住居侵入・窃盗被疑事実関係について
二月一八日に、被告人の検察官に対する供述調書一通(自白)が作成された以外麻布警察署および検察庁における被告人の供述録取書はない。
なお、同月一五日付で司法警察員井上忠利、同一色勝正連名の捜査報告書(「連続放火事件の容疑者として捜査中の塚本和雄が所持していた時計に関する窃盗被疑事件について捜査結果を報告する」と記載され、その記載よりして連続放火事件を第一義的な捜査目的としていたことを窺わせる。)が、同月一七日付で司法警察員曾根田春雄、同一色勝正連名の賍品処分状況捜査報告書がそれぞれ作成されているが、この二通はいずれも昭和四一年一二月一五日ころより勾留請求に至るまでの間に捜査したところの被告人がかつて所持し、吉本明男に貸与して同人に紛失されてしまつた時計に関する捜査経過をとりまとめたもので、勾留後の捜査によつて判明した事実の報告ではない。
(2) つぎに、勾留被疑事実となつていない、いわゆる余罪である放火・放火未遂被疑事実関係について
イ、二月一四日 中込稔方ほか六件の放火未遂被疑事実につき被告人の司法警察員に対する供述調書一通
ロ、同月一五日 中込稔方放火未遂被疑事実被告人の司法警察員に対する供述調書一通
ハ、同月一六日 井上瑞雄方放火未遂被疑事実につき、被告人の司法警察員に対する供述調書一通、日伸建設株式会社が建築中の非現住建造物に対する放火未遂被疑事実につき、被告人の司法警察員に対する供述調書一通(以上合計二通)
二、同月一七日 ナザール・モハマド・カーン方と浅野美津子方の各放火未遂被疑事実につき被告人の司法警察員に対する供述調書一通、吉野千代方放火未遂被疑事実につき、被告人の司法警察員に対する供述調書一通、柳瀬実方放火未遂被疑事実につき被告人の司法警察員に対する供述調書一通(以上合計三通)
ホ、同月二〇日 東京ベッド製造株式会社の放火被疑事実につき、被告人の司法警察員に対する供述調書一通
へ、同月二二日 東京ベッド製造株式会社の放火被疑事実につき被告人の司法警察員に対する供述調書一通、中込稔方放火未遂と東京ベッド製造株式会社の放火被疑事実につき、被告人の検察官に対する供述調書一通(以上合計二通)
の総計一〇通の被告人の供述調書(いずれも自白調書)が作成された。
なお、放火・放火未遂事件に関して、すくなくとも五通の参考人供述調書がこの間に作成された。
(3) そのほかに被告人の睡眠薬常用の事実関係について
薬局もしくは医薬品販売業者の八木原陽一、吉松修、子安英男(以上二月一七日付)、荒木重孝(同月二一日付)作成の各答申書を収集した。
(以上の捜査の前後の経緯からみても、当初の二月一二日の住居侵入の現行犯逮捕による身柄拘束の継続ならびにそれより約三年半前の窃盗の被疑事実を右住居侵入・被疑事実に付加しての勾留請求が、かねて被告人に対し嫌疑をかけていた中込稔方の放火未遂等の連続放火事件および東京ベッド製造株式会社の出火事件を捜査・取調べる必要上、名を別件に藉りてなされたものであることは明らかであり、被告人に対し右住居侵入・窃盗の両被疑事実による勾留状の執行のなされた同月一四日以降における上記のような本件各放火事件についての被告人の供述調書の作成等その取調状況は、まさにこれを裏付けるものである。)
4 第一次勾留から第二次逮捕・勾留に切り替る間の経緯
右のように放火関係の被疑事実について証拠が集つてきたところ、同年二月二〇月ころ、検察官は、警察に対し、第一次勾留については勾留期間の満了日も近づき釈放になる場合もあるので、その場合にそなえて放火関係の被疑事実で逮捕状をとつておくよう指示し麻布警察署は同二〇日東京簡易裁判所に対し、中込稔方の放火未遂事実を被疑事実とし、捜査報告書二通、参考人供述調書七通、被疑者供述調書二通、実況見分調書二通を資料として逮捕状の請求をし(本件捜査の経緯を明らかにするための証拠資料として取調べた勾留処分関係記録中の逮捕状請求書((原本))の記載欄中「被疑者に対し、同一の犯罪事実又は現に捜査中である他の犯罪事実について、前に逮捕状の請求又はその発付があつたときは、その旨およびその犯罪事実につき更に逮捕状を請求する理由」欄には、「被疑者は、昭和四二年二月一一日住居侵入現行犯として逮捕し、同月二二日釈放となつたものである。」との記載があるが、被告人が現行犯逮捕されたのは同月一二日であり、また、後記認定のとおり、被告人が第一次勾留につき釈放されたのは同月二三日であつて、上記の各記載日時は、誤記と考えられるが、それはともかくとして同裁判所に令状請求が受付けられたのは、受付印によれば同月二〇日であること、右記載部分が他の複写紙による部分と異つてインキで記載されていることなどからみると、右の記載部分は逮捕状請求当時にはなく、事後に記載されたものと認められ((なにゆえに、事後に、わざわざかような記載がなされたのか疑念が残るのであるが))、また現行犯逮捕された場合については法文上右欄内に記載すべきものとはされていないことをもあわせ考えると、逮捕状発付当時裁判官は被告人が前に住居侵入・窃盗被疑事実で逮捕・勾留されていたことを覚知しうるような状態にはなかつたことが推認される。)、同月二〇東京簡易裁判所裁判官はこれを認めて逮捕状を発付した。他方検察官は、そのころ、第一次勾留につき、「関係人取調べ未了、精神診断の必要あり、処分決定上必要な余罪取調べのため」を理由として、昭和四二年二月二三日から同年三月四日まで一〇日間の勾留延長を請求し、二月二一日東京地方裁判所裁判官は、これを認め、三月四日まで一〇日間勾留期間を延長する旨の裁判をした。
そこで、検察官は、第一次勾留の延長第一日目である同年二月二三日、「一、被疑者は、五、六年前から睡眠薬を常用しており、夜半目がさめ、頭が重いので犯行(女性の下着窃取等をしてマスターベーションをする。)に及び、気晴らしをすると供述しており、犯行の動機・女性歴に不自然な点があるので犯行時の精神状態につき診断を願いたい。二、連続放火事件の余罪もある。」と記載された診断要点書により、東京地方検察庁刑事部診断室に来庁する医師市川達郎(毎週一回木曜日に来庁する)に精神衛生診断を求めた、(被告人の精神診断承諾書は、これより前の同月一八日に取つてあつた。)同医師は右診断要点書に基づき、第一次勾留の被疑事実たる窃盗・住居侵入の時点の精神状態のみならず、余罪たる放火の時点の精神状態についても検討し、「被告人には睡眠薬嗜癖兼異常性欲が認められるが、(1)昭和四〇年一一月二九日の第一回の放火のころは、睡眠薬の影響はあまり考慮すべき段階ではなかつた。(2)同四一年六月ころ以降の連続放火の際は睡眠薬の乱用が目立つており、感情、意思面の障害が相当招来されていたと思う。(3)本件の窃盗時同三八年八月二九日ころは、睡眠薬の影響は考慮する必要はない。(4)今回の住居侵入(同四二年二月一二日)は、異常性欲と睡眠薬中毒が重なつた状態で行なわれている。」との診断書を作成して、検察官に提出したが、それ以上詳細な精神鑑定を捜査段階でするよう進言するとか、検察官からその要否につき問合せないし相談などはされなかつた。他方警察側では東京ベッド製造株式会社の出火事件に関して、その間の昭和四二年二月二二日ころ捜査官四名が東京ベッド製造株式会社社長林脇林吉方におもむき、林脇林吉、同人の妻林脇フク、被告人の伯父塚本圭三郎、林脇方の家事手伝い鵜野キヨの四名を参考人として取調べ(右参考人においても被告人が同会社に対する放火容疑で取調べられていることを知り得るに至つていた。)、また同月二三日には被告人の実父塚本長四郎宅の家宅捜索を行ない、かつ麻布警察署において塚本長四郎、兄の貞雄、進の三名につき東京ベッド製造株式会社出火当日の昭和四〇年一一月二九日前後における被告人の行動を中心として取調べを行なつた。
ところで、検察官は、前記のような理由を掲げて一〇日間の勾留延長を求めたが、わずか一日を右の精神診断のためにあてただけで、昭和四二年二月二三日警察側に対し、第一次勾留に関しては被告人を釈放し、さきに、東京簡易裁判所より発付を得ていた中込稔方の放火未遂を被疑事実とする逮捕状を執行するよう指示した。麻布警察署捜査官は、同日午後五時五五分同署において、第一次勾留につき被告人を釈放、中込稔方放火未遂の逮捕状を執行して令状の切り替をし(第二次逮捕)、被告人司法警察員に対する弁解録取書を作成し、翌二四日には中込稔方の放火未遂と東京ベッド製造株式会社の放火の両被疑事実につき、被告人の司法警察員に対する供述調書各一通を作成し、翌二五日右両被疑事実を送致事実として、被告人の身柄を、東京地方検察庁に送致した。
検察官は、同日両被疑事実につき、被告人の検察官に対する供述調書(弁解録取書)を作成したうえ、即日東京地方裁判所に対し、逮捕事実たる中込稔方放火未遂の被疑事実に、東京ベッド製造株式会社の放火の被疑事実を付加して勾留請求し、あわせて接見および文書の授受の禁止決定を求め、同日同裁判所裁判官は、これをいずれも認めて勾留状を発付し、かつ接見等禁止決定をした。同令状は同日午後三時五〇分執行された(第二次勾留)。
5 第二次勾留後中込稔方の放火未遂被疑事実につき公訴提起された昭和四二年三月六日までの間の捜査の経緯
捜査官は、第二次勾留期間の満了日である同年三月六日までの間において、東京ベッド製造株式会社の放火の被疑事実につき被告人の司法警察員に対する供述調書二通、中込稔方放火未遂の被疑事実につき被告人の司法警察員に対する供述調書一通、日伸建設株式会社が建築中の建物についての放火未遂の被疑事実につき被告人の司法警察員に対する供述調書一通、中込稔方放火未遂と東京ベッド製造株式会社の放火の両被疑事実につき被告人の検察官に対する供述調書一通(以上合計五通)を作成したほか、すくなくとも東京ベッド製造株式会社の放火被疑事実関係につき参考人の司法警察員に対する供述調書八通、検察官に対する供述調書九通を、中込稔方放火未遂被疑事実につき参考人の検察官に対する供述調書一通を作成した。
ところで、検察官は、同年三月四日、東京地方裁判所に対し、「(1)被疑者は犯行を認めているが、その情況証拠の収集が未了であり、東京ベッド製造株式会社および中込稔方の放火被疑事実につき、関係人(東京ベッド放火につき、塚本長四郎、塚本貞雄、合田某、林脇林吉、同フク、中込方の放火未遂につき高宮和子、小俣てつ、柳瀬某、中国人某)の取調べ未了、(2)被疑者につき精神鑑定の必要あり、未了 (3)同種連続放火の余罪捜査中、以上の結果をまたないと本件処分を決定し難いため」ということを理由として、同年三月七日より同月一六日まで一〇日間の勾留期間の延長を請求した。同月六日同裁判所裁判官は、「一件資料(弁護人提出の上申書を含む)によれば、被疑者は、先に別件(住居侵入・窃盗の被疑事実)で逮捕・勾留されたものであるが、該拘束期間中、捜査機関により終始本件被疑事実(東京ベッド製造株式会社の放火および中込稔方の放火未遂の被疑事実)につき追及取調べを受けたことが推認される。したがつて、本件勾留(右東京ベッド製造株式会社の放火および中込稔方の放火未遂の両被疑事実による勾留)につき、その期間延長をまで認めることは起訴前の身柄拘束期間に関する刑事訴訟法の制限に違反し、許されない。」としてその請求を却下した。検察官は、直ちに被告人および弁護人の主張第二(公訴棄却の主張)に掲記した「準抗告申立書」の内容のような理由をかかげて準抗告の申立をなしたが、同日同裁判所刑事第一三部は、原裁判と同旨の理由をもつて準抗告の申立を棄却した。そこで検察官は、まず中込稔方の放火未遂被疑事実につき、即日東京地方裁判所に対し公訴を提起した。したがつて、以後第二次勾留は、中込稔方放火未遂事実についての起訴後の勾留として引き続き継続した。検察官が、かように関係人等の取調べを了したうえで起訴・不起訴を決定するというそれまでの方針を、急に変更したのは、まず起訴して身柄確保のうえ、関係人等から証拠を収集するなど、じ余の捜査を継続しようとしたものと考えられるのである。
6 起訴後の勾留以後の捜査の経緯
捜査官は、同月八日以降中込稔方の放火未遂被疑事実につき被告人の司法警察員に対する供述調書一通、東京ベッド製造株式会社の放火被疑事実関係につき被告人の検察官に対する供述調書一通のほか、右両被疑事実につき、前記勾留延長請求および準抗告の申立において取調べ未了とされていた参考人につき、すくなくとも各六名の検察官に対する供述調書を作成し、同月二三日東京ベッド製造株式会社の放火被疑事実につき公訴を提起した。
その余の放火未遂被疑事実関係についても、同年三月七日から同年四月一八日までの間に、被告人の司法警察員に対する供述調書七通、検察官に対する供述調書三通が作成され、同年四月二七日にはナザール・モハマド・カーン方と浅野美津子方の各放火未遂被疑事実が、翌二八日には井上瑞雄、柳瀬実、吉野千代方と日伸建設株式会社の建築中の建物の各放火未遂被疑事実がそれぞれ起訴された。検察官は、以上一連の放火・放火未遂被疑事実を起訴する際、第一次勾留の被疑事実たる住居侵入について事案軽微、窃盗については賍品の処分先不明を理由にいずれもこれを不起訴処分とした。(なお、女性下着等の窃盗余罪については放火関係事件の捜査が一応終了し、捜査一課よりの派遣捜査官が引き揚げた後の同年三月中旬以降四月中旬にかけて麻布警察署の警察官より捜査が行なわれ、同年四月七日検察官において被害者のうちの一人の参考人供述調書を作成している。)
7 いわゆる余罪捜査、別件逮捕・勾留について
イ、問題の所在
憲法は、犯罪の捜査という公共的必要と基本的人権の保障という二つの要請のもとにおいて、犯罪捜査の過程において人権が侵される可能性を最小限度に食いとめようとの基本的理念から、法定手続の保障(同法三一条)、令状主義(同法三三条)、抑留・拘禁手続(同法三四条)等としてこれを明示し、刑事訴訟法もこの理念を受け継ぎ、個人の自由に対する国家権力の濫用や恣意を防ぐため、身柄拘束における要件を客観的に法定することとし、その一つとして勾留の理由および勾留の必要は、特定の犯罪事実について決すべきものとした。(捜査および訴訟の動的ないし発展的性格に鑑み、この犯罪事実は、その事実の同一性の範囲内で変動することを妨げない。)すなわち、特定の犯罪事実が明示されることによつて、裁判官はこれを基準として逮捕・勾留の理由・必要性につき審査し、もつて司法的抑制機能を働かせ、他方、身柄を拘束される被疑者は自己が身柄を拘束される原因、防禦すべき対象を知ることによつて、自己の防禦権を実質的に行使することができることになるわけである。(現行刑事訴訟法において認められるに至つた被疑者段階における弁護人選任権((同法三〇条))と接見交通権の保障((同法三九条))によつて、それはより実質的内容をもち得るものとされている。)法は、このため、逮捕状請求書および逮捕状に、罪名、被疑事実の要旨を記載すべきものとし(刑事訴訟規則一四二条一項二号、刑事訴訟法二〇〇条)、逮捕するに際し被疑者に対し逮捕令状を示し(同法二〇一条)、犯罪事実の要旨および弁護人を選任することができる旨を告知したうえ弁解の機会を与えることを要請し(同法二〇三条、 二〇四条)、勾留するにあたつても被告事件(被疑事件)を告げ、これに関する陳述を聴くことを必要とし(同法六一条―同法二〇七条第一項、以下同じ)、勾留状にも罪名、公訴事実(被疑事実)の要旨が記載要件とされ(同法六四条)、その執行にあたつても勾留状を示し(同法七三条)、勾留する場合には弁護人・親族等にその旨通知しなければならない(同法七九条)とするなど幾多の規定をもうけているのである。
ところで、実務上(イ)甲事実で逮捕・勾留中に、それによる身柄拘束状態を利用して余罪である乙事実について捜査することが許されるか、(ロ)本命とされる乙事実それ自体については、令状記載の甲事実と何ら関連性がなく、しかもいまだ逮捕・勾留の要件をみたさないのにかかわらず、甲事実を理由として令状を求め、その令状による強制処分を利用して乙事実の捜査を行なうという、いわゆる別件逮捕・勾留は許されるかが問題とされる。(この二つの問題は同一範疇の問題であるが、(ロ)の問題においては、当初より本命たる乙事実の捜査に積極的に利用する意図をもつて行なわれるという主観的面がより強く出ている点に問題性が付加される。)そして、一般に刑法における併合罪に関する規定と刑事訴訟法における訴訟経済の原則から、量刑上被疑者・被告人に有利に働くことがある点と、捜査・審判の反覆を避け得る点を考慮し、できるだけ同時に拠査・審判することが被疑者・被告人につき長期の身柄拘束を避け、人権を尊重することにもなるとして、必ずしもいわゆる逮捕・勾留についての事件単位の原則を厳格に貫く必要はないとされている。
しかし、ひとたびある被疑事実で身柄が拘束されれば、その後はどのような犯罪事実の捜査にもこれを流用ないし拡張することができるとしたり、また、複数の被疑事実がある場合、捜査官側で密行的強行捜査を得策とする事犯については、なるべく勾留請求の被疑事実とせず、被疑者側に捜査していることが明らかになつてもさして支障のない事犯のみを被疑事実として勾留請求し、並行捜査の名のもとに右本命の事犯の強制捜査を行なうという捜査テクニックが問題なく許されるということになつてはならないと考えるのである。(甲事実で身柄が拘束されていても、乙事実の捜査が完全な任意取調べの形で行なわれる以上、これを認めてもよいとする考え方もあるけれども、現実問題として、捜査官側で一人の身柄拘束者に事件毎に取調べ方法をかえることは、まずないであろうし、甲事実で身柄を拘束されている者が、乙事実取調べの際には完全な任意の取調べであるからとして自からを処することもほとんど考えられないし、そのようなことを期待することにも疑問がある。)この問題を考えるには、前記のように司法的事前抑制と被疑者の実質的防禦権の保障という二つの面を十分考慮に入れる必要があると考えられるのであつて、余罪たる乙事実の嫌疑と、それによる身柄拘束の必要性について検察官の司法的な事情の審査を経ず、かつ、被疑者側に防禦対象が明らかにされないまま、ひとり捜査官側において甲事実の令状による強制処分を利用して、乙事実自体についても強制処分が認められていると同様の効果をあげ得る捜査が行なわれるという、余罪たる乙事実が制度上・手続上明確な形となつてあらわれないことから生ずる弊害の面を無視してはならないと考える。なるほど流動的・発展的な過程をたどる捜査の性質を考えると、甲事実についての逮捕・勾留中に、つねに並行的にも乙事実についての捜査取調べを行なうことが許されないとすること(事件単位の原則の厳格な適用)は、捜査活動の性格にそわないばかりでなく、事件毎に逮捕・勾留を繰り返すことになり、かえつて被疑者に不利益をもたらす結果となるであろう。しかしながら、捜査権の行使について、憲法・刑事訴訟法が諸権の厳しい制約規定を設けていることからみても、捜査機関の強制権限の発動には、おのずから限界の存すべきことは明らかである。結局この問題は、なるべく同時に捜査・審判することによつて被疑者の長期身柄拘束を避け、人権(その面での)を尊重しようとの理念と、右の司法的事前抑制・被疑者の実質的防禦権の保障という令状主義の本来のありかたとの調和点をどこに見出すかの問題に帰する。そして、この点については、甲事実の嫌疑とそれによる逮捕・勾留の必要性が存続し、かつ余罪たる乙事実の捜査を手続上明示しないままの形ですすめることが裁判所に課せられた司法的抑制機能をくぐり、被疑者の防禦権を実質的に阻害することにならない場合に限定して、このような捜査が是認されるにすぎないと考えるべきである。すなわち、甲事実だけで逮捕・勾留する必要性がない場合にかような捜査方法の許されないのはもちろんのこと、その必要性がある場合であつても甲事実の取調べ中にたまたま被疑者自からがすすんで乙事実を自白した場合(この場合その自白の真偽を確認し、令状を求め得る程度の証拠収集までは並行的に余罪捜査をすることが許されるであろう)とか、乙事実が甲事実に比較し、より軽微であるとか、同種事犯であるとか、密接な関連性がある事犯であるなど右に述べたような限定的場合に該当すると認められないかぎり、本来の原則にたちかえり乙事実自体についての捜査・勾留を求めて手続上明確にすべきであり、いわゆる余罪捜査という形で甲事実による身柄拘束を利用して乙事実を捜査することは、乙事実捜査に関する限り許されないというべきである。そして、いわゆる別件逮捕・勾留による搜査、いいかえれば、ある重要犯罪について、証拠関係が不十分なため直ちに逮捕・勾留の令状の発付を求め得ないのに、搜査機関が当初より右の重要事件の捜査に利用する目的で、その事件とは直接関連性もなく事案も軽微で、それ自体では任意捜査でもこと足りるような被疑事実を捉えて、まず、これによつて逮捕・勾留の令状を求めて身柄を拘束し、その拘束期間のほとんど全部を、本来のねらいとする事件についての取調べに流用するような捜査方法は、当初より令状による司法的事前抑制を回避しようとの意図があり、また他罪の令状による強制処分を利用して本命としている犯罪の捜査を実行し、被疑者から自白を獲得したうえこれに基づいて本命たる被疑事実についての逮捕・勾留の令状を得ようという見込み捜査的内容を含んでおり、被疑者の身柄拘束は、形式的には他事実に原因しているけれども、実質的にはその身柄拘束はもつぱら本命たる被疑事実の捜査に向けられているのであつて、かような捜査方法は、不当な見込み捜査であつて、逮捕の理由となつた犯罪を明示する令状を保障した憲法三三条、抑留・拘禁に関する保障を定めた同法三四条の各規定をかいくぐるものであり、また憲法および刑事訴訟法において認められた捜査権行使の方法手段の範囲を逸脱するものとして許されないものと考える。
ロ、本件における捜査の過程からみた別件逮捕・勾留について
これを本件についてみると、以上認定した事実関係によれば、警察当局は被告人に対し連続放火事件および東京ベッド製造株式会社の放火事件について、逮捕できる程度の確実さを備えた具体的証拠を収集することができず、捜査を進展させることもできないまま、連続放火事件特別捜査班を編成して以来四個月余を経過してしまつていたところ、かねて本件の容疑者の一人としてリストに載つていた被告人が、たまたま警ら中の警察官の目前で住居侵入の犯行を犯し、これを現行犯として逮捕し得たことを奇貨として、これを機会に右一連の放火事件につき被告人を本格的に追及・取調べする必要があるものとして、警視庁刑事部捜査一課火災班に直ちに連絡し、これを受けた同班所属の捜査官も直ちに麻布警察署におもむき、一旦は縮小された前同特別捜査班を再び強化し、同署に派遣された警視庁刑事部捜査一課火災班所属の司法警察員関森勝が捜査主任官となつて捜査を進めることとしたが、被告人の身柄拘束継続の必要理由としては、右住居侵入の被疑事実だけでは、それが警察官による尾行・張込みによる現行犯逮捕であり、被告人もこれを一応自白していて証拠関係も明白であり、事案それ自体としても軽微である関係上、これより前に連続放火事件について聞込みをしていた際探知はしたが、収集し得た証拠関係上では、客観的にも逮捕状を求めることは困難であり、また捜査当局もそれまでにその事実のみで逮捕状を求めるということは主観的にも意図したことはなかつたことが推認されるところの約三年半も前の窪寺良次方での時計紛失について被告人を追及し、被告人から一応の自白を得たうえ、これを窃盗被疑事実として付加して送致、勾留請求し、住居侵入・窃盗の被疑事実で第一次勾留を得るや、その勾留期間を本件連続放火および東京ベッド製造株式会社の放火事件の取調べにあて、被告人を追及した結果、これまた一応の自白を得、これに基づいて第二次の逮捕・勾留の令状の発付を得たものであることが明らかに認められる。右のように、第一次勾留被疑事実中、住居侵入の点は、その侵入目的とされているところからみると、女性下着に興味をもつ癖があるのではないかとの疑いがあるけれども、事案内容それ自体は軽微であり、窃盗の点は第一次逮捕より約三年半も前の出来事であるうえ、前記のとおり、被害者の盗難時計の特定性に関する供述の信用性には問題があるのであつて、被告人の時計窃取のいわゆる自白を裏付けする証拠として時計の発見がぜひ必要であつたところ、賍品と見込まれている時計もパチンコ屋というような場所で紛失してしまつており、早急にこの所在を追及することは困難であり、結局被告人のいわゆる自白を裏付けするに足るような証拠を収集し得る見込みは極めてうすく(また、盗難にあつたという時計の所在追及のため品触れをしたかどうかも明確でない)、これら両被疑事実につき被告人に逃亡罪証隠滅などのいわゆる刑事手続回避の危険性が相当程度あつたかどうか、強制捜査まで必要としたのかどうか疑問があり、また捜査当局において、このような事案だけならば、果して被告人の逮捕を継続し、被告人の勾留まで請求したかどうかも極めて疑わしい。むしろ、前記のような、本件捜査の経緯について認定した事実関係に鑑みれば、本件第一次勾留は、その勾留被疑事実自体について刑事手続回避の危険性を防止するために身柄を拘束するというのではなく、前記のように本件放火・放火未遂事件につき逮捕できる程度の確実な証拠が得られなかつたので、捜査当局は、まず、別件の住居侵入・窃盗被疑事実について身柄を拘束し、その拘束期間を本件放火・放火未遂事件の取調べに流用して被告人を追及、その自供証拠を獲得するために請求したものであり、ついで、被告人から自供を得るや、これに基づいて本件第二次の逮捕・勾留の令状の発付を請求したものであることが明らかに認められるのである。
すなわち、捜査当局は、当初よりもつぱら本件放火・放火未遂事件の捜査に利用する目的のもとに、前記認定のような別件の住居侵入・窃盗被疑事実に名を藉りて被告人を勾留し、右両被疑事実による身柄拘束状態を利用して、これよりはるかに罪責の重い本件放火・放火未遂被疑事実を取調べ、これらの被疑事実で逮捕・勾留して取調べたと同様の効果を挙げようとの意図であつたことが明白であり、そしてその意図のもとに第一次勾留を請求し、その目的に従つて捜査を遂げたものと認められ、また、検察官においても警察側の要請、連絡および送致記録によつて警察当局の右のような意図、捜査方法を認識していながら、これを認容し、かつ、自からも右のような別件勾留を利用して本件放火事件の捜査をしてきたことが認められるのであつて、まさに前記のとおりの別件による身柄拘束の継続を利用した違法、不当な捜査方法に該当するものというべきである。
(なお、捜査官側から逮捕令状請求・勾留請求勾留期間延長請求がなされた場合に、その請求の原因たる被疑事実に関する資料のほか現に並行的に捜査が行なわれている余罪についての資料があわせ送付されることは、処分決定上必要な余罪捜査を理由として勾留期間の延長を請求する場合を除いては、必須のものとはされていないので、並行的捜査ないしはいわゆる別件逮捕・勾留が行なわれているかどうかは裁判官に容易にはわからないことがすくなくないのである。本件においても第一次勾留およびその期間延長を認めた裁判官において、住居侵入・窃盗被疑事実の捜査以外に放火・放火未遂被疑事実の捜査が行なわれるであろうこと、ないしは現に行なわれていることを知つていたものとは認め難いし、処分決定上必要な余罪捜査を理由とする第一次勾留の期間延長請求において、いわゆる余罪とされているものは、女性下着等の窃盗事犯が考えられるのであつて、これら事犯よりはるかに罪責の重い放火・放火未遂被疑事実を念頭においていたものとは考え難いし、かつまた第二次の逮捕令状請求・勾留請求を認めた裁判官においても、それより以前に被告人が他の罪で身柄を拘束されながら実はもつぱら放火・放火未遂被疑事実についての取調べを受けていたことを明確には認識し得ず、前記のように第二次勾留の延長請求がなされた際に弁護人より提出された上申書を検討することによつてはじめてことの成行きを察知し、前記のとおりの第二次勾留の期間延長請求却下の裁判をしたものであることが窺えるのである。
そしてまた、昭和四二年三月一三日天野憲治弁護人から、中込稔方放火未遂事件に関する起訴後の勾留について、右勾留は違憲・違法な起訴前の別件逮捕勾留を前提とし、かつ、これに引き続くものであるから、起訴後の勾留もまた違憲・違法なものであつて取消されるべきであるとの理由を掲げて勾留取消請求がなされたが、同月一六日東京地方裁判所裁判官はこれを棄却する旨の裁判をなし、即日同弁護人からこの裁判に対し準抗告の申立がなされ、同月二七日同裁判所刑事第二六部は、起訴前の第一次逮捕・勾留は違憲・違法な別件逮捕・勾留とは認め難いことを理由としてこれを棄却し、更に同弁護人から最高裁判所に対し特別抗告の申立がなされたが、同年八月三一日最高裁判所第一小法廷は、起訴前の段階における勾留およびその勾留中の捜査官の取調べの当否は起訴後における勾留の効力には何ら影響を及ぼさないとしてこれを棄却する旨の決定をなしている((昭和四二年(し)第二六号事件、刑集二一巻七号八九〇頁))。ところで、弁護人は、「右刑事第二六部の決定においては、第一次勾留の期間中に被告人が本件放火・放火未遂事件につき取調べを受けたのは、同年二月一四、一五、二〇、二二日の四回であると認定し、この事実認定に基づいて本件第一次逮捕・勾留がもつぱら放火事件の捜査目的のみでなされたと認めるに足る根拠を見出すことは困難であるとしているが、同月一六、一七日にも被告人が取調べを受けており、右刑事第二六部認定の一四、一五、二〇、二二日に合計五通の供述調書が作成されているほか一六日付二通、一七日付三通の供述調書((二月一七日付三通の供述調書は、四つの放火未遂被疑事実についてのいずれも図面を添付した詳細なものであつて、僅か一日の取調べによつて作成されたものとはとうてい認められないものであることは経験則上極めて明らかであると弁護人は思料するのであるが))が作成されていることは(乙)検察官証拠調請求目録によつて明白であつて、右刑事第二六部決定のような事実認定となつたのは、検察当局が別件逮捕・勾留の非難を免れるために、一六、一七日付作成の右合計五通の被告人の供述調書を提出せずに、ことさら秘匿したためか、それとも裁判所が記録を精査しなかつたものか、いずれにしろ公正さを欠いていた。」と非難し、検察官は右一六、一七日付の被告人の司法警察員に対する供述調書は、当時未だ検察官の手許に送致されていなかつたので裁判所に提出できなかつたものであつて、弁護人の非難するようなことはないと反論している。
本件のように別件逮捕・勾留というような捜査自体の違憲・違法が問題となつた場合には、検察官は単なる訴追側としての立場に立つだけではなく、司法における正義実現のために、公益の代表者の立場から、ことを明確ならしめるという積極的かつ公正な態度で資料を提出すべきであつて、訴追側に不利と思われる手持ち資料を提出しないことによつて非難をかわそうとするような消極的態度をとるべきでないことはいうまでもないところであつて、弁護人指摘の資料が右刑事第二六部に提出されなかつた理由は、検察官主張のような事情によるものと善解したいが、それにしても起訴後の勾留取消の準抗告がなされたのは同年三月一六日であり、その決定は同月二七日になされているのであつて、同年二月一六、一七日付の合計五通の被告人の司法警察員に対する供述調書が一個月余も経過しているのになお検察官の手許にすら送致されていなかつたという釈然としない点は、なお残るといわざるを得ない。ともあれ、右刑事第二六部の決定が同年二月一六、一七日の被告人の取調べを認定していないことおよび二月一六日付二通、一七日付三通の被告人の司法警察員に対する供述調書が現実に存在することは証拠関係上明白であるが、勾留関係についての裁判・準抗告の際には、本案における公判審理とは異なり、資料収集にも限度があり、原則として即時に取調べ得る資料をもととして判断せざるを得ないし、右刑事第二六部もこのわくの中で事実認定をし、第一次勾留期間中における勾留被疑事実たる住居侵入・窃盗被疑事件についての取調べ状況と、本件放火・放火未遂被疑事実の取調べ状況とを対比して第一次勾留は違法な別件逮捕勾留にあたらないとしたものであるし、当裁判所は公判審理を通じて更に広く収集し得た資料により前記のとおりの事実認定をし、これを前提として第一次勾留は違法な別件勾留とみざるを得ないとしたのであるが、捜査当局により作成された被告人の供述録取書のみに基づいて考えてみても、第一次勾留期間中に、本件放火・放火未遂被疑事実につき、被告人が六日間取調べられ、一〇通の被告人供述調書が作成されていることを前提とした場合と、四日間取調べられ、五通の被告人供述調書が作成されていることを前提とした場合とでは、事実認定およびそれを前提とする結論に何らかの影響を与えずにはおかないであろうことは否定し得ないと考える。)
<証拠>《省略》
第四弁護人選任についての経緯
関係証拠(後掲)を総合すると、被告人の父塚本長四郎は、昭和四二年二月一四日ころ、東京地方裁判所から、被告人が住居侵入・窃盗の被疑事実で、麻布警察署に勾留されたことの通知を受けたが、そのころ同人方に来て被告人の性格や外泊先などを聞きに来たりした捜査官から聞いた話しの内容や感じから、被告人が間もなく帰宅を許されるであろうと安易に考えて、そのままにしてきたところ、同月二三日ころには同人(父塚本長四郎)をはじめ、兄の貞雄、進も同警察署に呼ばれて取調べを受け、翌二四日の新聞に、弁護人主張のような内容の記事(前記読売新聞都民版)が出たことから、被告人の家族らも被告人が連続放火事件や東京ベッド製造株式会社出火事件の容疑者として取調べを受けていることを知り、ことの重大さに驚き、ここに始めて被告人のため弁護人を選任しようと手を尽した結果、結局同月二八日に至つて弁護人(天野憲治)を選任することができたことが認められる。(ところで、それより以前において、前記のように重大な被害を受けた東京ベッド製造株式会社の社長林脇林吉が加害者((犯人))とされている被告人のため麻布警察署におもむいて差入れをしたり、同会社の顧問弁護士某を世話したりしているのであるが((同弁護士も被告人が承諾するならば引受けてもよいとの意向を明らかにし、被告人が同月二八日麻布警察署において同弁護士を選任し、同弁護士は同年四月一二日に選任されるまでの間被告人の弁護人の地位にあつた))、同社長が麻布警察署管内の防犯協会副会長、麻布消防署管内の火災予防協会副会長の地位にあり、東京ベッド製造株式会社の出火原因が容易に究明できないことにつき警察署や消防署のやり方に批判的であつたこと、同会社がその出火による類焼者から民事上の損害賠償請求を受けていること、当時シモンズベッドとの合併関係がうまくいかず、かつ本件出火のため会社の事務所、工場、機械等を失い経営上もますます苦境に追い込まれたことなどの事情があることなどを考えると、被告人と同社長が叔父・おいの関係にあり、同社長が被告人の姉をいわゆる妾にしているなどの身分上の関係があるにしても、重大な損害を受けたいわば被害者である同社長の行動としては奇異なものを感じさせずにはおかない。現に、被告人の実父塚本長四郎の証言によると、同人は、二月二三日ころ、同人の娘((上記被告人の姉))からの電話で、林脇社長が被告人のため同会社の顧問弁護士某をつけてやると言つているということを聞知したが、その日のテレビニュースや上記のような新聞記事の報道内容の重大さからみて、勝手に、このような行動に出る同社長の態度に、いたく不審感を抱いたことが認められる。)
通常、弁護人・親族らに対する勾留通知の際(刑事訴訟法七九条同規則七九条)には、被疑者が身柄を拘束された原由たる被疑事実の罪名すなわち勾留罪名と勾留場所が明らかにされているが、手続上明確な形となつてあらわれない余罪については、それが通知されるということは全くないといつてもよいであろう。そして、一般に被疑罪名の軽重により、親族らの弁護人等法律専門家の援助を求めようとの動機形成は違つてくるものと考えられ、後記認定のとおり被告人は知能程度が劣るのみならず、第一次逮捕当時睡眠薬中毒のため正常ではなかつた状況にあつたことなどをも考慮すると、被告人の家族らにおいて、極めて重大な犯罪である本件各放火事件で被告人が身柄を拘束されていることを知らされた場合には、これが知らされず軽い住居侵入・窃盗程度の被疑事実で拘束されているものと思い込んでいた場合より、より強く被告人のための弁護人選任の必要を感じ、その選任のためへの具体的方策をとらせるきつかけとなつたであろうことは容易に考えられるところであつて、別件逮捕により本件各放火・放火未遂事件が表面に出されなかつたことにより被告人の家族の弁護人選任権(刑事訴訟法三〇条二項)の行使が、著しく遅延してしまつたという意味で被告人らの親族が非難したくなるのも無理はない事情がある。
<証拠>《省略》
第五被告人の自白調書のもととなつた取調べ時における被告人の供述能力等
1 被告人の当公判廷における供述(第二八回)、証人塚本長四郎の当公判廷における供述、医師市川達郎の精神衛生診断書を総合すると、被告人はかなり以前からドリデン、ナロン等の睡眠薬を常用しており、昭和四二年二月一二日に住居侵入現行犯として逮捕された当時も睡眠薬を服用し、睡眠薬中毒状態にあつたのではないかと思われる状況が認められること、その後の同年四月下旬に至る間(勾留中)において、睡眠薬服用中断により被告人の精神状態に何らかの異常な影響力があつたのではないかと推認される状況が認められること、被告人は、小学校、中学校を通じ常に最低の学業成績しかあげ得ず、その知的能力が劣つていることが窺えることなどから、当裁判所は、警察署、検察庁の被告人取調べ時における被告人の供述能力の有無、程度等を明確にならしめる必要があると認め、昭和四三年八月五日の第三四回公判において検察官弁護人の意見を聴き、つぎの事項の鑑定を命ずることとし、なお、鑑定事項に鑑み、薬物中毒の鑑定人としてふさわしい人を得るため人選に配慮したうえ、東京医科大学神経精神科助教授・東京大学医学部精神科講師、医学博士佐藤倚男医師を、検察官、弁護人の異議ない旨の意見をも徴して、鑑定人として選任した。
(なお、鑑定の対象時と時期的、季節的にほぼそれに近い条件のもとで鑑定したいので、相当の鑑定期間を見込まれたい旨の申出があつた。鑑定書が作成提出されたのは昭和四四年六月一六日である。)
鑑定事項
(一) 被告人の心身に、ドリデン、ナロンが及ぼした影響、特にその供述能力・取調べに対し防禦権を行使する能力に対する影響、およびそれらの服用を中断した場合の、その影響の持続性について
(二) 昭和四二年二月一二日の逮捕当時およびその後、同年四月下旬に至る間(勾留中)の警察署、検察庁の取調べ時における被告人の精神状態
(なお、被告人がすくなくとも昭和三八年九月以降ドリデン、ハイミナール、ナロン等の睡眠薬を用いていたということについて、検察官からその点の証拠((鑑定資料の意味を含めて))として、前掲の港区麻布近辺における薬局等の経営者荒井重孝、八木原陽一、吉松修、子安英男作成の各答申書、幸井角次郎の司法警察員に対する供述調書((以上いずれも謄本))が提出され、弁護人の同意を得てこれを取調べ、また、鑑定人から供述能力という鑑定事項に照らし、検察官から本件各放火未遂被告事件の証拠として取調べ請求のなされていた被告人の司法警察員、検察官に対する各供述調書―これらの各供述調書の任意性、信用性については、かねて弁護人から種々の角度から論難され争われているので、後出の精神鑑定書を取調べた第三六回公判において、その任意性、被告人の捜査段階の取調べ当時における被告人の供述能力等を慎重に調査検討する意味を含めて取調べを行なつた―を参考資料として提供されたいとの申出があつたので、検察官、弁護人の同意を得たうえ、右供述調書全部を鑑定のため参考資料として検察官より直接鑑定人の閲覧に供させた。)
2 右のようにして得られた鑑定人佐藤倚男作成の精神鑑定書(「検察官質問への回答」と題する同鑑定人作成の書面を含む。以下同じ)および証人佐藤倚男の当公判廷における供述によれば、被告人が睡眠薬を用いていた経緯の要旨は、
(ⅰ) 昭和三一年ころ(一九歳から二〇歳くらいにかけて)始めてドリデン二錠をのみ、じ来常用するようになる。(鑑定書一七頁)
(ⅱ) 昭和三六、七年ころまでは、薬をのまないと三、四時間も寝つけない。薬をのむと、翌朝気分がよく、すぐ起きられる。仕事を終えると、早く帰つて薬をのむことを楽しみにしていた。(前同二九頁)
(ⅲ) 昭和三七、八年ころドリデンの量が増え、帰宅するなり六錠のんでうとうとする生活。(前同二七〜二八頁)
(ⅳ) 昭和三八年ころからは量が増え、六、七錠のんでもすぐには寝つけない。テレビを三、四時間みているうちに知らずに寝入り、翌日まで眠りが続く。(前同三〇頁)
(ⅴ) 昭和四〇年三月座間に移つた時以来、夜ねるときに、ドリデンを六、七錠のみ、それでもすぐには寝つけず、日中にも一回、六、七錠、その数時間してから三錠ぐらい追加して服用し、ほとんど一日中、酔つた状態が続いていた。ドリデン一日一五ないし二〇錠に増量。このころから睡眠剤中毒による酩酊、言動異常が断続していた。(前同三〇頁、四九〜五二頁、六一頁)
(ⅵ) 昭和四〇年春ころからは、睡眠剤ハイミナールを代用したり、鎮痛剤ナロンを服用したりすることもあつた。同年夏ころからは、もつぱらナロン常用。一、二個月してからは、八錠くらいずつ二、三回にわけて、一、二分おいて服用する。(前同五二〜五三頁)
(ⅶ) 昭和四二年二月一二日午前一時二五分ころ住居侵入現行犯として逮捕されるまでの薬物乱用による中毒症状として、身体的には食欲の減退、体重の減少、歩行障害、覚醒時勃起の減少・消失、性交時勃起不能、快感減少、射精遅延、顔色の悪化、めまい、耳鳴りなどがみられており、精神的には、自己中心的、依存的、寄生的、刹那的、享楽的に変化している。(前同六〇〜六一頁)
(ⅷ) 昭和四二年二月一二日よりの禁断時の状況として、自分の置かれている状況の認識、それへの対処の仕方に問題があり、情動の動き方に障害がみられる。また、極めて被暗示性が高く、またそれが妄想的に体系化し易かつた。中毒および禁断症状からの恢復に、被告人はすくなくとも数個月かかつている。すなわち、食欲はほぼ二週間で恢復しはじめ、二個月で完全になり、睡眠障害は、禁断時には相当はげしかつたと推定されるが、それからの恢復は、覚醒については四個月後に朝のオルゴールでさめるようになり、入眠も恢復し、七個月後には体重が七五キロになり、覚醒時勃起を示標とした性欲障害がほぼ恢復し、九個月後にめまい、耳鳴りがようやく治り、一年後に体重が八五キロに増進している。(前同六二頁〜六五頁)
とし、(ⅰ)〜(ⅳ)の間は睡眠薬常用者、(ⅴ)〜(ⅶ)の間は睡眠薬中毒者といえるとされ、その鑑定主文は、前記鑑定事項のうち、
(一)につき、「被告人は元来の知的低格性(知能指数七八、正常人の精神薄弱の中間である境界知)に加えて敗戦末期の戦災、終戦時の混乱のために小学一、二年を空白に過し、その後の教育的環境にも恵まれなかつたために劣悪な学業成績しか身につけることができず、このことと下半身の火傷(左上下腿、右下腿の臍部にかけての広範な大火傷)が劣等感の二つの原因となつて、その代償として社会に出てからは依存的、被暗示的で意志薄弱・抑うつ的な性格を形成し、徐々に睡眠薬に依存するようになり、住居周辺の浮薄な風潮に容易に動かされて、寄生的で芯の弱い、適確、迅速に変化に対応し、自己を貫くことができない性格となり、日中にも睡眠薬を服用し、困難にあえばたちまち現状破壊、自暴自棄となつて職を投げ、その場の状況の些末に見える事柄のもつ重大性を理解せず、やや自虐的に傾く自己否定傾向も加わつて、その供述は中正適確を欠き、ことに自己を防禦する能力において著しい障害をきたしている。そのあと服用を中断(禁断)した後も、完全な恢復までに九個月を要し、ほぼ完全な恢復という段階に達するにも数個月を要している。この数個月以上の恢復期間は、夜昼問わぬ眠剤ないしアルコール中毒においては普通の経過であるが、被告人の場合は知能、知的水準、意志薄弱人格、戦後環境および住居環境などが重なつて、通常の場合よりも障害が加重されたと考えられる。」
(二)につき、「昭和四二年二月一二日より一日ないし三日間は中毒症状がなお存在し、その後けいれん発作性、せん妄性、幻覚妄想性の禁断症状ないしそれらを潜在させた精神病様状態が数週間続き、更にその後は疲弊した心身機能の恢復過程に入り、この時には、情動易変性、忍耐持続性の低下、被影響力の亢進などが数個月続いている。被告人は、知的障害と性格障害が元来あるため、中毒および禁断経過中のこの時期には周囲と自己との状況を判断し、これに即応して行動する能力の点で著しい障害があつたと推定する。」
と鑑定している。
3 他方医師市川達郎は、当公判廷における証言および捜査段階において作成した精神衛生診断書(その一部は前記第三の4参照)において、被告人は第一次逮捕されるまで睡眠薬を長年濫用し、精神的・肉体的に依存性があつて睡眠薬の嗜癖に陥つていたが、被告人を診断した昭和四二年二月二三日当時(前記認定のとおり同日午後五時五五分に第一次勾留から第二次逮捕に切り替つている。)には、被告人は食欲がない、こめがみが痛い、睡眠薬が欲しい、薬をのんでぐつすり眠りたい気分だなどと訴え、顔の皮膚もガサガサして艶がなく、やせていた。また被告人は当時しやべることはしやべるが聞かれても「わからない」「思い出せない」「忘れた」などと言うことが多く、言語性は精神薄弱に入る低さの六四という数値にあつた。総体的にいえば、診断時は軽い神経衰弱様の状態で軽い禁断症状が残つていた程度であつた。診断時の状況よりみて、それより一週間くらい前の状態は、食欲不振、睡眠不足などの程度ももつとひどく、忍耐力・何かを持続し続ける能力も弱化していて、焦燥感・易刺激性が高まり、頭もまとまらないなど総体的に神経衰鮒様症状がもつとひどかつたと推認される、と述べている。
4 ところで、証人塚本長四郎の当公判廷における供述によれば、被告人と同居していた父親らにおいて被告人が睡眠薬をかなり多量にのんでいるということを他から聞いたり、入院させるようすすめられたりしたことなどがあつたことから、被告人に対し、睡眠薬をのまないよう注意したことが何度かあつたものの、被告人についてそれ以上の身体的・精神的異常は感じていなかつたようであることが認められ、留置人健康診断簿綴には被告人についての身体的・精神的異常の存在は記載されていないこと。昭和四二年二月二五日の第二次の勾留質問調書には被告人が読み聞かされた被疑事実のうち、一部については否定し他の大部分についてはこれ認めるという対応の仕方を示したことが認められ、これら事実等よりすれば、被告人は、さして正常人と変らなかつたかのようにみえる。しかしながら、前記同月二三日に被告人を診断した市川達郎医師の診断内容や佐藤倚男医師の鑑定結果に照らすと、外観上明白に何らかの精神的異常を認め得る精神病の場合とは異なり、本件においては、通常人はもちろんのこと、麻布警察署において留置人を診断した医師(専門は不明)においてすら、被告人の身体的・状況を適確に把握できなかつたのであるけれども、専門の精神科医からみれば、前記のように被告人には種々の症状や負因がみられるのであつて、外観上通常人とさして変らないかのような言動や対応をしていたことをもつて、ただちに被告人が取調べを受けた当時正常人と同様の防禦能力、供述能力があつたと判断することは早計であると考える。そして専門医たる佐藤倚男医師と市川達郎医師の被告人取調べ時における被告人の禁断症状の程度については、見方にかなりの差があるけれども、見解の一致する点もすくなくないのであつて、被告人が逮捕された当時および取調べを受けた当時、睡眠薬中毒とその禁断症状のため、自己を防禦する能力に障害があり、言語性の低下、忍耐持続性の低下などがあつたものと認められるのであつて、以上の事実と両医師の見解を総合すると、被告人が捜査官の追及に正常人と同様の状況において対処し得たとは、とうてい認められないのであつて、結局被告人の自白調書のもととなつた取調べ時において、被告人の自己を防禦する能力、供述能力の点に著しい障害があつたものと推認される。
(以下に、その一例をあげる。被告人は、司法警察員に対する昭和四二年二月一五日、同年三月八日付、検察官に対する同年二月二二日、同年三月三日付各供述調書において、「中込稔方に放火((公訴事実の要旨二5))した後、各所を徘徊して檜町公園に行き、夜が明けてきたので、帰ろうとする途中、六本木交叉点付近の坂のところで柳瀬実とすれちがい、なにか声をかけ合つた。同人とは時々会つているが朝早く会つたのはこの時がはじめてである。」と述べ、その場所を図示している。ところで、柳瀬実(港区麻布北曰ヶ窪に居住)は当法廷において証人として、検察官の尋問に対し、「何年も前からずつと一日三回付近の六本木食堂で外食しており、台風のあつた昭和四一年九月二五日にも朝七時まで仕事をして朝七時から始まる同食堂に朝食をとるために出かけたが、その途中七時ないし七時一五分ころ共同便所付近の坂で、坂をおりてくる被告人と、すれちがい、『おい、早いな』というような言葉をかけたが、被告人と朝早く会つたのはその一回だけである。」と述べたが、弁護人の反対尋問に対し、被告人と朝早く会つたその日に六本木食堂に行き食事をした。食事をしないで店の前から引きかえしたのではないと述べ、更に同食堂の休店日を問われると、それは毎週日曜日であると述べた。しかし、昭和四一年九月二五日は日曜日なのであつて、柳瀬実が右のように被告人と会つたというのは右九月二五日ではなく他の日であるということになり、また中込稔方で出火した日と被告人が柳瀬と朝早く会つたという日とは結びつかなくなり、結局被告人が台風の日である昭和四一年九月二五日早朝に中込稔方に放火した後、その帰途顔見知りの柳瀬実に会つたという被告人の捜査官に対する供述自体についてはもちろん、その裏付け証拠とされた柳瀬実の証言についてその信用性には重大な疑いがあり、被告人が前掲のような内容の供述をするに至つたのも前記のように防禦能力・供述能力に著しい障害があつたためではないかとの疑いが濃いと考えられるのである。)
第六被告人の本件各自白調書の証拠能力(証拠の許容性)
憲法三一条(法定手続の保障の規定)および刑事訴訟法一条(刑事訴訟法は、その冒頭において「公共の福祉の緯持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ事案の真相を明らかにする」ことをその目的として規定することによつて、基本的人権の保障のためには、真実発見という訴訟法的要請のための手段も制限されることのあるべきことを表明している。なお刑事訴訟規則一条一項参照)は、実体的真実発見の追求は公正な手続という軌道に従つて遂行されるべきことを明示しているのである。
そして、憲法および刑事訴訟法が、合法的な国家権力―犯罪捜査のための強制権限―の発動のために令状等について詳細かつ厳格な規定を設け、その方途を十分に用意していることから考えても、それ以外の手段方法によつて得られた証拠が利用されるというようなことは、法の全く予想していないことである。
ところで、本件の第一次逮捕に引き続く勾留による身柄拘束は、憲法三三条、三四条の規定そのものの要請に違背するような違法、不当な捜査権の行使に該当することは前記のとおりであるから、この第一次勾留による身柄拘束期間中に獲得された証拠であるところの被告人の各自白調書は、真実発見のための手段として用いることは許されないものといわなければならない。
つぎに、第二次逮捕・勾留(起訴後の勾留も含めて)―第二次の逮捕・勾留は、前記のとおり第一次の違法な別件勾留のもとにおいて獲得された自白に基づいて得られたものである―による身柄拘束期間中に作成された各自白調書についてみても、その実質は、第一次の別件勾留中になされた自白の繰り返し、ないしはそれをふえんしたものにすぎないと認められ、また、第二次の逮捕・勾留は、形式的には、第一次の逮捕・勾留とは別個の手続によつてなされてはいるけれども、実質的にはこれと不可分一体の関係にあり、両者あいまつて、一つの捜査手段を構成しているものというべきで、その全体が違法、不当な捜査権の行使―全体として憲法三三条、三四条の各規定の要請に違背するような重大な瑕疵を有する捜査手続―であるとしなければならない。したがつて、第二次逮捕・勾留による身柄拘束期間中に獲得された各自白調書もまた適法な証拠としての能力―真実発見の手段としての資格―を欠如するものといわなければならない。もし、(本件を例にとつて考えれば)第二次の逮捕・勾留中に収集した自白調書を、それが第一次の勾留と別の手続(第二次の逮捕・勾留は、形式的には別個の手続であるが、実質的には逮捕・勾留の蒸し返しである)において収集されたものであることを理由に、証拠として許容するにおいては、違法な別件逮捕・勾留中に収集し得た証拠は犠牲にしてでも第二次の逮捕・勾留中に獲得する証拠を利用する目的で、なお違法、不当な別件逮捕・勾留という捜査方法を続けるということも生じ得るのである。このような違法、不当な別件逮捕・勾留を抑制し、目的のためには手段を選ばないというような捜査方法は現行法のもとにおいて許されないことを明らかにし、憲法および刑事訴訟法における公正な手続の保障という法の精神を貫くためには、本件において、別件勾留による拘束期間中に収集された自白調書はもちろんのこと第二次の逮捕・勾留以後に作成された自白調書を含め、これら一連の自白調書全部は、前記のように全体として違法、不当な捜査権の行使によつて獲得された証拠として許容すべきでないと考えるのである。しかも、これら自白調書は、そのもととなつた取調べ当時、前記第五のとおり被告人の防禦能力にも著しい障害があつたと推認される状況下において録取作成されたものである。以上の諸点に鑑みれば、結局、検察官から本件各放火・放火未遂被告事件を立証するための証拠として取調べ請求のなされた被告人の司法警察員に対する供述調書二二通、検察官に対する供述調書六通(いずれも、いわゆる自白調書)は証拠能力(証拠の許容性)を有しないものといわなければならないので、これらの供述調書は、すべて犯罪事実認定のための証拠とはしない。
(結語)
冒頭(第二)に判示したとおり、本件各放火・放火未遂被告事件において、被告人をその犯人であると認むべき証拠がなく、ただ被告人の捜査段階における自白のみが被告人と各犯罪事実とを関連づけ得る証拠であるところ、その自白調書は、叙上のとおり、すべて証拠能力(証拠の許容性)を否定されるべきものであから、結局本件各公訴事実は、いずれも犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡をすることとする。
(なお、弁護人から、前記―被告人および弁護人の主張第二―のように、公訴権濫用に基づく公訴提起であることを理由として公訴棄却の判決がなされるべきである旨の主張がされているのであるが、本件についてはすでに実体審理に入り、相当回数の公判において証拠調べを了し、実体判決をするに熟していることに鑑み((公訴権濫用を理由とする公訴棄却を認めるか否かについては、なお解明されなければならない問題点がある))、被告人のため無罪判決をすることとし、弁護人の公訴棄却の主張に対しては特に判断を示さない。)
よつて、主文のとおり判決する。(相沢正重 須田贒 朝岡智幸は転任のため署名押印することができない。)